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魔陰の身の考証

魔陰の身の考証

魔陰の身の考証

Description

丹鼎司の論文。作者は仙舟人の「魔陰の身」の起源と研究を考証している。

PART 1

(序)

(序)

魔陰の身の考証・序文

「建木」の顕現により、仙舟人は無限の寿命を得た。同盟の「魔陰の身」に抗う歴史は優に六千年を超える。

最初の仙舟の出航は、人類の老いと死に対する長い戦いのエピローグだった。やがて帝弓の降臨、三族の共盟を経て、仙舟人は不死の肉体と豊穣の忌み物との果てしない戦いを開始した。

歴史とは永遠に続く循環なのかもしれない。仙舟人が一つの敵から逃れると、さらに困難な敵が現れた。この戦争のエピローグはいつ訪れるのだろう。

本稿では「魔陰の身」という概念の発見の由来、仙舟人のそれに対する認識の変化、関連研究の成果について整理を試みる。そして読者に仙舟人の不老長生の本質をより明確かつ客観的に理解させ、「寿瘟禍祖」の仙舟に対する消せない影響を知らしめるものである。

この本を書く過程で、丹枢様や多くの医士たちの助けを得た。また、丹鼎司「観頤台」の公文書庫から多くの資料を得ることができた。聡明なる友人たちの多くの貢献に、ここで感謝を述べる。

丹鼎司丹士 華月

PART 2

(その1)

(その1)

起源

周知の通り、「神降時代」の黄金の年月は一瞬にして崩壊した。八大仙舟の民が長命種に変化した後も、人口の増大は続き、ついに限界値に達したのである。

千寿を享受し、ただ素食を貪る「耆宿」が仙舟の権力と富の大部分を握った。一方では3千億近くの底辺の「褐夫」は、存在意義なき肉塊に堕した。「建木」のもたらした奇跡も人間の貪欲さを満たすことはできず、仙舟はその荷重に耐えきれず、沈みゆく艦隊となった――いくら洞天を開けても、人口増加には追いつかない。褐夫階級を開拓星に流して人口圧力を軽減する案も焼け石に水だ。演算によれば、3代も経たない内にこれらの世界も仙舟同様の苦境に陥るだろう。

ついに、後に言う「鬩壁の戦い」が勃発した。八大仙舟内で内輪揉めが頻発し、褐夫が蜂起し、その後も円嶠仙舟が赤色巨星に墜落する惨事が起きた。史上初の確認できる最初の魔陰の身の記録は、この大危機の際に発生した。

『仙舟通鑑』の「三劫紀」のある巻の記載によると、仙舟曜青の洞天の主(著者注:貴族が残っていた時代の爵位で、現存しない)長桓は宴会を好んだ。民衆が洞天を強攻した時も、彼は多くの客を招いた自らの千年寿の宴に夢中だった。宴の席で貴族たちは顔を曇らせ、杯を止めて箸を投げた。目の光の消えた主人だけが、人間の体重の数十倍もの食事を貪り続けたが、その豪華な料理は、底なしの穴に投げ込まれたかのように食欲を満たすことはできなかった。

守備軍が壊滅し、宮門が破られ、中に飛び込んだ民衆は、そこに人の気配がまったくないことに気づいた。屋敷の階段の隅には、蠕動を続ける肉塊が詰め込まれ、無数の目、耳、舌、歯、手足、毛髪、脂肪……それらが狂ったように増殖しては抜け落ちていた。これらの血肉が、一人の人間の体から来ていることを想像できる者はいなかった。

この「肥肉連城」の記録は荒唐無稽なデマとされた。しかし、すぐに人々は、異常はそれだけではないことに気づいた。

高まる民衆の反発と暴動に対して、「仙人」を名乗る耆宿たちは、死体のようにそれを無視するか、妖魔のように奇術を操って狂ったように鎮圧した。歴史に絶えず刻まれた驚くべき暴挙の数々――朱明の「赤怒焚王」、虚陵の「白骨夏宮」、玉殿の「碧血山墓」……それらの惨劇の背後には、ある事実が示されている。長い寿命の果て、人としての道理心を失い、狂気に堕ちる者がいるということだ。

我々はそれが高位の権力者のみの起こす暴虐だと思っていた。しかし、それから数百年の間に、必死に生きてきた褐夫たちもその後塵を拝した。この時期は「空劫時代」と呼ばれ、仙舟文明の「建木」から生まれた輝きは、最も深い闇に堕ちた。

後に呼ばれる「魔陰の身」の狂気症状は、悪夢のようにすべての仙舟の長命者の心に存在し、消すことはできないのだ。

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